台風24号の避難勧告と避難所

 昨日から今朝にかけ「非常に強くて大型な台風24号」は日本列島を駆け抜けて行った。広島県東部の今朝の空模様は何事もなかったように晴天・無風の秋空の良い天気である。

 昨日避難勧告が発令された後、非常持ち出しとウーロン茶を買い14時45分頃、近くの中学校の避難所に車で出向いた。自分自身避難所に出向くのは初の経験である。中学校の体育館前の駐車場には2~3台の車しか見れないのでおかしく感じながら体育館内部に足を踏み入れるとダダ広い館内の端に2家族4人の避難者が壁際に遠慮した様子で簡易椅子に腰かけていた。自分も奥の壁際に椅子を運び落ち着いた。

 台風は16時頃広島県に最接近すると聞いていたので今から人達が増えると想像していた。しかし入口に置かれた長机の上の記帳用紙に姓名、住所、入館時刻を記入したのが自分が最終でその後、市の職員と2家族と自分の6名で沈黙の時間を過ごした。
 自分は携帯ラディオを持参していたので巨人対広島戦を聞きながら台風の通過と時間の経過を待った。
 体育館の屋根は簡易構造のため雨音は結構うるさく音の強さから大雨を感じるが、風の強さはまったく想像できない。市の職員はノートパソコンなど外部の情報を取り込む媒体を用意していないため、台風の現状や周囲環境を知るすべは全くない。従って情報は個人が持ち込んだスマホやラディオからのみである。
 床はフローリングで冷たさを感じるのかと思ったが横になっても意外にそうでもない。常連者(1日前から泊まり込んでおられる方)は簡単な布団を持ち込んでおられ今夜もここで夜を明かすと言っておられたお婆さんがいた。私の年齢を問われ71歳いぬ年ですと答えると、おない年で自称「ばばあ」と言われるから自分は「じじいです」と大笑いした。自宅は先の豪雨時、直径2mほどの大岩が転げ込んできて恐ろしく住めないので避難所に来た。台風が去るまでここにいると言われていた。

 台風が広島県から遠ざかり始めた7時半に皆と別れて帰宅した。
 避難勧告が発令されても殆どの人は避難をしない現状を認識した。その原因は発令の仕方に問題があるのではないか。人口10~15万の街に避難勧告市内全域と言われてもあまりに広くて緊迫度が沸かない。どこどこの地区と具体的であればもっと身近にひっ迫した行動に出るのではないか。勧告を出す側に市内全域としておけば後々責任を回避できるからと思われても仕方がない。それに市内全域で避難する場所は確保されているのだろうか?避難所を体験してみて疑問に思う事が多い。
 一方災害で住む家を無くし避難所に住むことを余儀なくされている方々を思うと次元が異なる心配が沸いてくる。今から日本へ上陸する台風の数は少なくなるがその強さや規模はさらに大きくなる傾向にあると気象予報士は言っていた。