徒然草(第十五段)

 いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ目覚める心地すれ。

 その辺り、ここかしこ見歩き、田舎びたる所、山里などは、いと目慣れぬことのみぞ多かる。都へ便り求めて文遣る。「その事かの事、便宜に忘るな」など言ひ遣るこそをかしけれ。
 さやうの所にてこそ、よろずに心遣ひせられる。持てる調度までよきはよく、能ある人・かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。
 寺・社などに忍びて籠りたるもをかし。

 一人旅でも、二人旅でも、家族旅行でもかまわない。自分の住みかをちょっと離れて、よその土地をのぞくだけで、日常生活でたるんだ心がしゃきりする。未知のものに向かい合うときの、新鮮な心のたかぶりが旅の魅力であることを、兼好は言い当てている。(角川ソフィア文庫より )

 ノートパソコンのそばに置いていた徒然草の本に手をやり開いたページが第15段であり目に入った。
 旅に出るのには丁度季よい季節になった。日本の古今を問わず。
 しかし、旅に出るには先立つものの必要性は昔も今もかわりなく兼好は余裕のある生活をしていたのだろう。
 何年越しかの思いがある。昔一緒に仕事をしていた仲間が会社を辞めて東京から隣県の岡山に帰ってきた。仕事を一切変えて家具師になり生涯「現役」と言い今も仕事を頑張っている。もう10数年になるが私が初めて油絵の個展を行った時ご夫婦で尾道まできてもらったことがある。
 その後、年賀状だけの交際であったが数年前に奥様が膵臓癌でなくなった事を知った。いつか岡山の県北にある美咲町を訪れてみようと思い続けてきた。今、脊柱管狭窄症の痛みに耐えているが少しでも復調したら訪れてみたい。
 今朝の徒然草第十五段が何かの縁を与えてくれたのだろうか?