アナザーストーリー・運命の分岐点「広島カープ初優勝への奇跡」

 ユーチューブを漁っていたら、アナザーストーリー・運命の分岐点「広島カープの奇跡」に出くわした。広島原爆投下から30年目の昭和50年・1975年に初優勝した広島カープの1年を纏めたアナザーストーリーであった。
 私は戦後の生まれで爆心地から100km程離れた場所に住んでおり、広島市内の生存者の思いや苦しみを充分に理解をしていない。わずかに原爆ドームと川沿いの原爆スラムと言われた住宅地域の残像が残っている程度である。
 広島カープは原爆投下から4年目に誕生した貧乏弱小球団であった事は想像できる。監督は試合よりも金策に走り回り給料未払いの選手も多くいた。選手達は3等列車の床に寝て東京へ遠征に出かける始末で在京球団などにカープは勝てる訳はなかった。
 それでも広島市民は樽募金までしてカープを応援したことは有名な話である。

 それから数十年が経過した昭和50年、アメリカ人ルーツ氏(今は故人)が監督に就任し赤い帽子(赤ヘル)に象徴される程の脱弱小の意識革命を行った。その当時衣笠・山本浩二などブレークする選手層も厚く、フアンの熱い脅迫ともとれる応援と緊張感の中で見事初優勝を達成した。市内の優勝パレードで市民は道路上で土下座して選手達に有難うと感謝の意を伝えたと池谷は言っている。
 昭和20年には広島市だけではなく中心都市は焼夷弾の投下により徹底的に破壊され焼け野原になった。広島原爆は歴史上はじめての事であり瞬時に600度を超える高熱で万物が消滅した。その意味で他都市とは異なる復興と広島カープの初優勝はダブッテ思えるのは無理のないことである。

 今年カープは球団史上初のセリーグ3連覇をなし9度目のリーグ優勝を果たした。
 昭和50年に応援していた人達に今日のカープの成長をだれが予想しただろうか?
 カープフアンは全国に多くいるが、一度このユーチューブを見て改めてカープを知り応援してほしい。もっともっとカープが好きになる筈。