石田三成の子孫と小早川秀秋の子孫が語る

 今日の読売新聞の”編集手帳”の記事に興味深いことが書かれていた。
 関ヶ原の合戦から来年で420年を迎える。
 先月下関の博物館に武将の子孫が集まり対面したという記事から、西軍の大将・石田三成の子孫秀雄さんと小早川家の子孫・隆治さんも加わっていた。
 秀雄さんは「秀秋は初めから東軍の気持ちで戦いに来ていたので裏切りでも寝返りでもない」と言う。

 一方隆治さんは秀秋の親しい親族が豊臣に処刑されていたので「複雑な胸の内を抱えていたのかも知れない」と応じた。長年過去のご先祖様をながめてきた二人は2年前に出会い交友を深めてきたらしい。

 ややもすれば犬猿の仲にもたとえられる両家の現在の関係は恩讐を越えた状況なのだろう。

 それにしても石田三成の子孫は関ヶ原の合戦後大変な苦労を積み約400年の歴史の中を生き延びられたことであろう。小早川家のその後の末路も手放しで喜べる歴史ではなかったと歴史物には書かれている。

 NHKの大河ドラマ石田三成の子供をかくまった井伊家のことに触れたことがあったがそれが真実であったのだと思える。

 あの関ヶ原の合戦で猛将・立花宗茂が琵琶湖の戦いに割かれていたが、もし関ヶ原に参戦していれば結果は東軍・西軍のどちらに転んだか解らないし小早川秀秋の東軍参加も幻に終わったのかも知れない。

 広島県三原市の小早川家菩提寺・米山寺には第17代小早川隆景の墓までしか存在しない。
 小早川隆景には子供がなく秀吉から毛利家に豊臣家からの養子の話が出て、毛利家の血筋を保つため小早川家に秀秋を養子にもらい受けたと言い伝えられている。