日曜日の新聞で「コロナの時代を読む」と言うページがある。
その中に、木内昇(きうち のぼる)氏の記事に
誰のせいにもできないようなことで被害を受けると、何かと理由をつけて誰かのせいにしたくなるのは、人間心理なのかもしれない。・・・コロナウイルスの感染が拡大してからこの心理がずっと働いているような感じがします。
とある。
山本周五郎の「青べか物語」が紹介されて木内氏が繰り返し読んだ本であり、この本には個々の違いを認めることが大事だと書かれている。
昔自分もその本を購読したことがあり本棚の片隅にまだ存在していた。その内に読もうと思っている。
そしてつい1週間前に読み終わった。
大正末期から昭和初期にかけての現在の千葉県浦安地区を舞台とした山本周五郎自身の身の回りに起きることを書き連ねたエッセイである。
木内氏の感想に多く共感は持てないがその時代に生きた人たちは誰のせいにするでもなく自分の人生として素朴に生きていたのだろう。
それは今でも変わらぬ事だろう。
それを踏み外すと誰かのせいにして大きな事件が起こるのかもしれないが。
木内昇氏とは女性で1967年生まれ(現在54歳)の女性で中央大学卒の時代小説作家である。2014年「漂砂のうたう」で第144回直木賞の受賞をなしている。
その本を新品にもかかわらず中古で安く手にいれ昨日読み終えた。
大まかな感想を言えば読むのに難しい本である。
何故かというと明治維新前後の廓の専門用語の連続でその関連を理解するのに苦労をする。しかし人間の描写は優れていて感動するところも多くあり直木賞に値するのかなと思う。
廓という特殊社会の外にNHKなどでテレビ化される文化で人間を描いてほしい。
もうその種の本を書かれているのなら申し訳ないが。
このブログは自分が公開したブログの一部を参考にしている。