老友 アントニオを偲ぶ(その1)

 昨日イタリアの小さな村の出来事を見ていた。

 地中海に浮かぶサンデニア島の寒村の物語。

 地名は忘れたが小さな貧しい漁村に生きるアントニオ。

 漁師だけの収入では食べてはいけないと村に初めてのレストランを開く。

 彼には少し道を外した次男がいて彼にレストランを渡し店をさった。

 次男はその店を他人に売って姿を消した。

 アントニオはその後村の漁業者たちのためにムール貝の養殖を始め行業組合の会長となり村全体の発展のため働き皆の信望も厚い。

 

 私はアントニオの名前でスペインの今はなき老友アントニオを思い出した。

 今から20年前の話。

 自分がまだスペインで就職の決まらない時代。

サンセバスチャン市の絵画同好会で知り合ったのがアントニオで年齢おそらく75歳前で私の今の歳位であったろう。

 年金生活者のアントニオは暇は十分あり同じく暇をもてあそぶ自分と似たところがあった。

 彼はサンセバスチャンから車で30分内陸部に入ったオニャテの出身でそこは大学の町であった。

 その町でチョコレート工場を自営していたが大量生産の波におされ閉鎖した。

 その後サンセバスチャンに居を移しセシー夫人とつつましい生活をしていたところへ私が登場し何度も食事に誘われたりしてお遊びの相手をしていた。

 アントニオには4人の子供がいた。娘二人に息子2人。

子供達は次男の除き皆成功の中に生活をしていた。

 長男は美大に入ったが精神を患い一人家にこもっていた。

 長男の生活は残りの3人の子供がお金を出し合って面倒をみていた。

 アントニオには僅かな年金生活で細々と暮らしていて他に為すすべはなかったらしい。

 次男は銀行に勤めていたがやめて友人と地中海でヨットのクルーザーを始め金回りを相当良さそうで当時は珍しい日産のオートマ車(新車)を父親にプレゼントしたり100万円をポンと小遣いに手渡ししたり長男のかわりを務めていたらしい。

アントニオから色々教わった。

 スペイン語が不十分な自分をからかいながら言葉を教えてもらった。

                        その1