ピカソの絵ゲルニカは落書きされた

昨夜のNHKのアナザーストーリーでピカソの絵ゲルニカは落書きされたとあった。

スペイン内戦でフランコナチスの共同作戦でゲルニカ空爆されそれに反発したピカソゲルニカの絵を描き戦争に反対をした。それはフランス時代のことらしい。

その後その絵はニューヨークの美術館に展示されていたが戦争反対の象徴としての効果はなかった。

1968年3月にベトナム戦争でソンミ村でアメリカ軍による500人を超える大虐殺事件が起こった。ベトナム戦争最中ピカソの絵ゲルニカが訴えたかった戦争反対・平和の祈りは皆に忘れがちであった。

落書き犯は名前を得ることよりピカソの願いを再度世に問う事で落書きに至った。

ゲルニカの絵は厚いニスでカバーされていたため落書きは簡単に落とすことができたらしい。

スペインのフランコ総統没後絵ゲルニカはスペインに帰った。

その時どこの美術館に展示すべきか、スペイン北部のゲルニカか首都マドリドかバルセロナピカソ生誕の地マラガにするか随分もめたみたいだがマドリドのプラド美術館近くのソフィア王妃美術館に落ち着いたらしい。

ゲルニカの絵は牛と馬と人が描かれており牛は平和、馬は暴力で戦争を家内部の人間がスペイン人で外から侵略者によって荒らされる風景を表している。
丁度今ロシアがウクライナに侵略して罪のない人達を殺戮する事件と同じことである。

さて私は25年前スペインのサンセバスチャンの近くの人口2500人のデバ村に住んでいた。デバからゲルニカへは電車を乗り継いで1時間足らずで行ける場所にあった。

ゲルニカは小さく綺麗な村で自分自身3度訪れている。

何故こんな村を空爆する必要があったのかはゲルニカバスク民族の象徴でもあったからである。

ソフィア王妃美術館へも2度程行き大作ゲルニカをじかに見たことがある。

そしてスペインの大学の美術コースでゲルニカの絵の見方を学んだこともある。

もう2度とスペインの地を踏むことはなかろうとゲルニカの絵を懐かしく思い出しています。