九州旅行

4月12、13日と女房連れで北九州を小旅行に行ってきた。

博多から大宰府経由で柳川で一泊、翌日タクシーで佐賀県吉野ケ里遺跡を見学して佐賀市に戻り大隈重信記念館によって佐賀発15時54分発で帰った。

新幹線を除き殆どが西鉄にお世話になったが西鉄の情報システムやホームへのエスカレータ設備は整備され驚いた。広島駅のホームへのエスカレータ設備は3年前だったと思う。

博多駅から大宰府への乗り換えの西鉄福岡駅を探すのに大分時間を要した。

西鉄天神・大牟田線で二十日市

大宰府へは随分前々から訪れてみたいと思っていたが、当神社は現在改装中であり裏面からの景色しか見られなかった。

 大宰府は観光化しており若い人や外人が多く門前町は土産屋が多くならんでいて霊験あらたかな雰囲気は見られなかった。

大宰府を13時半出発して柳川には15時頃到着。

このあたりは田園風景が開けのんびりとした気分を味わった。

ところが途中から天気予報通り黄砂で景色はほとんど見えない状態となった。

柳川に着くとホテル・ルートインは駅から目と鼻の先の近くにあり15時半頃チェックインした。柳川市内の川下りは遠慮し、松壽園に向かった。

そう大規模ではない庭園をみて広島の縮景園の方が規模的に大きく感じた。柳川藩立花宗茂公は秀吉門下でありながら後家康に抱えられて長きを得た人物として有名であるが多くを知らない。

柳川で有名なのがウナギと川下りであり女房曰くここまで来てウナギを食べようとは思わない。それと川下りであるが2~3隻とすれ違い何が面白いのかと疑問に思えた。

ただ柳川市内の個別の邸宅は皆広々として羨ましくも思えた。

柳川駅(西鉄)近くの食事処「重ちゃん」に行けとタクシーの運転手にすすめられて夕食をとった。普段全く酒を飲まないのに記念に地酒を飲み女房にも.奨めた。

本日は大宰府及び柳川市内をよく歩き1万3千歩。

翌日タクシーで吉野ケ里遺跡公園へ行く。

タクシーの運転手にこの当たりは1軒の宅地が随分と広いと感想を述べると柳川は農業を除き川下りとウナギだけですと言う。ウナギは柳川で養殖されるのかと問うと宮崎からのものですと言う。この2つが長年柳川を培ってきているが他は特に産業はないらしい。

翌日、柳川~吉野ケ里遺跡はタクシーを予約していた。

どうもこの区間は乗り換えが複雑でタクシーに頼るしかなかった。

タクシーからみる田園風景は今麦の時期で青々と平野を埋め尽くしている。

吉野ケ里遺跡は弥生時代初期から後期に渡り生活の痕跡が発掘されたらしいがその後は不明らしい。

ただ観光と言うか見学する場所は貴族の住んだ地域というからこの時代から身分差別があったのかと残念に思えたが、それがあるから統一されて長続きできたのかとも思える。

吉野ケ里遺跡公園から長崎本線の公園駅まで徒歩15分の歌文句にだまされて歩くと30分を超える散歩になってしまった。神崎駅の方が近かったのかも。

電車で佐賀駅に向かった。

50年前会社の先輩の出身地が佐賀で佐賀駅前で両親がすし店を経営されていてお世話になったことがあるが全く記憶に残っていない。当時の佐賀駅まわりは緑多い景色であったが今では緑は全くない。そうかと言って駅前に高層ビルが乱立するでもなく開発遅れの感じ強い。(新幹線が停車しない駅が原因かも)自宅に帰ってネットを見ると日本全国で一番暮らしてみたい町が佐賀市だと驚いた。我々みたいに1日程度の旅をするのと実際に生活するのでは外から見るのと中からみるので随分と違うのかもしれない。

佐賀駅からはバスを使い、大隈重信記念館を見学した。

日常あまり大隈重信公をよく知らないが早稲田大学の名前で思い出す。

福沢諭吉大分県の出身で慶応大学、大隈重信早稲田大学と九州出身の方は有名大学を開いて後輩の指導にあたられたのだ。

佐賀駅を15時54分で特急ミドリにて博多乗り換えで帰途についた。

土産を買うのに博多駅の乗り換え20分は女房にとって忙しい時間であったろう。

この度を終えてもう少し若ければ車で行ける距離であるがそれでも久々の女房孝行が出来良かったと思う。それに好天に恵まれむしろ暑いくらいに感じた九州北部であった。