27年前阪神大震災で亡くなられた方は6434名にのぼる。
27年前地震当時まだ布団の中にいたが地震の大きさに驚き飛び起きた覚えがある。
もう27年かと思う人もまだ27年かと思われる人もおられる。
地震のおよそ1か月後会社の指示で何か支援できないかと現地へ赴いたことがある。
三宮か兵庫まで電車で行ったがその後は線路がきれて代行バスを利用しポートアイランドまで何とか行ったことがある。
兵庫駅前でみた永田地区あたり一帯の瓦礫の風景に立ちすくんだ。
テレビでみるものより数段規模の大きい瓦礫にしばし立ちすくんだ。
三宮の駅前ビルは傾いたままの姿勢を維持していた。
震災の数年前まで神戸垂水地区に住んで通勤していた記憶とだぶらせながら地震の爪痕のすごさを感じた。
その後20数年後に神戸を訪問し市美術館あたりがすっかり復興し美しい景観美に生まれ変わったいた。
外部に住む人間にとって当時の当地の人々の苦労などわかる訳がない。
それはいま町内で起ころうとしている災害に向けて抵抗しようとするグループと関係なく離れた場所に住む人たちの無関心さを寂しく思う。
中国地方とりわけ広島県は花崗岩の地域が多く、最近の集中豪雨の多い場所でありながら事故が起こるまでは無関心の人々が多い。(町内会のことである)
それらの方々を説得するのは大変である。どこまでやれるかはわからない、微力ながら努力をしていきたい。