最近、大物女優さん樹木希林さん、市原悦子さんに続いて赤城春江さんも亡くなられた。赤城春江さんは死去に際し延命治療をしなかったと娘さんが言われていた。
7年前に妻の母も同じように延命治療を拒否して亡くなった。その葬儀の時自分で延命治療をしない義母の姿を手記に留めておこうと思ってまとめたものをここに紹介しておきます。
義母の最後
2012年6月10日、妻の母が尾道総合病院の一般病室から個室へ移動した。
義母の先は長くはないらしく家族が順番で病室に詰めることになった。
年金生活者の私は一番時間を自由に使えるので1日中義母に付き添った。
義母はあまり喋らず私からの問いかけにうなづく程度の反応を示し、食事は小さな握り飯を一口とアイスクリームのみを採る。
それでも私は勝手に昔話を出し遠くに住む長男(孫)の話を聞かせた。
妻の実家は商売屋で家族全員で商いに専念していた為、義母が7人の孫の面倒を一人でみてきた。孫にとっては非常にこわい存在であったと長男は言う。
私達が結婚当初から義母はよく肥えており昔のテレビドラマに出る「肝っ玉母さん」に風貌と体形がよく似ていた。
事実度胸がよく商売上でヤクザと言い合いをした話は有名である。
娘婿の私との関係は普通よりはだいぶ良好な関係で暖かいまなざしで私の話をよく聞いてくれたのを覚えている。
病室に詰めた今もそうであり、むしろ私の話が好きだったのかも知れない。
それが7~8年前から糖尿病を患い腎臓、心臓の不整脈を発病しペースメーカーを胸に入れるなどして入退院院を繰り返していた。
最終的には腎臓病の悪化で昨年の11月に当病院に入院して長期間を経過していた。
義母は病院生活が嫌いで一度はタクシーを呼び無断で家に帰り病院関係者からおしかりを受けたことがあるらしい。
7月6日2回目の付き添いの順番が巡ってきた。
義母は全く食事に手を出さず眠る時間がほとんどである。点滴もうたず薬も飲まずただ時間が経つのを待っているかのように見えた。
帰宅して妻に話すと「義母は本人の希望もあり延命治療を一切行わない方針である」と聞いた。死期の近い義母は本人がまだ元気な頃、妻に家に帰りたいと言っていた事をおもいだし義兄と話し合った。
結局妻の実家に連れ帰ることになった。そのため総合病院の医師と話合い実家近くの医師(義兄と医師は友人)とも話しあって帰宅することになった。
在宅終末を迎えるには家の近くの医師との連携が非常に重要であることを聞かされた。臨終に医師が立ち会わない場合警察の介入が必要となるからである。
全ての準備が整い義母は家に帰った。
食を取らず意識ももうろうする状態での帰宅であったが再び意識は混沌とした。
医師から臨終が近いとの情報で親戚は2度集まった。2度目に私と妻は間にあわなかった。
帰宅から6日目の2012年7月11日帰らぬ人となった。
延命治療をしないと言う事はある意味で非常に薄情な話である。
食べ物をとらず干からびていくのを待つという罪の意識に苛まれる。
しかし人口呼吸器や胃ろうの対策をとれど最期は巡ってくる。その間の本人・医療関係者・家族の心労は大変なものと思える。
義母は安らかに永眠した。
死の直後ペースメーカーは医師の手により外された。
義母の死 追想録
自分はずっと義母に付き添ったわけではないので家族の心情は完全には測り知れない。
そして自分の最後を考えて延命治療をどうするか妻と話したことがない。恐らく延命治療は不要との結論をだすのでは?