急行寝台「安芸」

 1970年(昭和45年)呉線の全線電化で寝台急行「安芸」は終焉の時を迎えた。

 山陽線の瀬野ー八本松間には急こう配22.6%の区間があり補助の機関車が最後尾を押して登っていた事情があった。

 それに引き換え呉線は海岸沿いを走り勾配が少なく、1両の機関車でけん引することにより広島~東京を1本でつなぐ列車を走らせるのに呉線経由にさせた理由のひとつに上げられる。

 昭和40年入社の自分にとって東京への出張はこのSLで牽引する急行「安芸」を大変懐かしく思える。

 急行「安芸」は広島駅を14時15分発で東京には翌朝の7時到着。16時間45分の長旅であった。急行「安芸」の寝台は3段ベッドでよく頭を打った。

 当然ながらこの頃には特急寝台「あさかぜ」がすでに営業運転をしており会社のえらいさんは「あさかぜ」を我々ペイペイは急行「安芸」を利用して東京はじめ北海道までの旅に利用していた。

 ぼけのせいか「安芸」の名前が思い出せずつい2日前なにかのきっかけで安芸を思い出した。

 安芸の営業運転の自然消滅で東京への出張はすべて「あさかぜ」か新幹線に置き換わった。

 特急寝台「あさかぜ」は現在のように個室ではなく2段ベッドであった。これがB寝台であったのだろう。

 やがて東京出張はほとんどが新幹線の利用になりその次に喫緊の場合は航空機の利用が許されることになった。

 東京に住む我が長男の帰省はすべて飛行機で往復する贅沢な旅に変化している。

 昔正月あたりの出張には東京から名古屋あるいは新大阪まで立ち席で帰っていたことを懐かしく思い出している。

 この齢になるともう出張という言葉さえ聞くこともなく帰省ラッシュ風景をテレビニュースでみる程度である。