英雄たちの決断 菅原道真

 30分程前NHKで英雄たちの選択”菅原道真”の右大臣任命を辞退すべきか否かをテーマとした番組を見た。
 菅原道真公を祭った神社は全国で12000社あり、学問の神様として祭られている。
 その例にもれず尾道・千光寺山に対峙した形で尾道市長江に多くの石段(数えたことはないが)の上に御袖天満宮が位置している。
 名前の由来は菅原道真公が京から太宰府へ流される途中、尾道に立ち寄り民衆から麦飯と酒を馳走されこれに感謝し自らの着物の袖を破り自身の姿を描いて与えたのがきっかけで御袖天満宮と言う。
 毎年行われる天神祭りには子供神輿がもようされた。
 時期は夏休みの始めで神輿の真鍮磨きをさせられ市内をねりまわし最後に長い石段を登った記憶はまだ明確である。

 この神社は後に尾道出身の大林亘彦監督の映画「転校生」に登場しこの石段を転がるシーンはまだ新しい記憶に残っている。

 そんな御袖天満宮であるが夏の私の思い出に菅原道真公は登場しない。
 今日のテレビを見てその歴史を理解した。恥ずかしながら。
 北野天満宮にお参りしたことはあるが太宰府には行ったことがない。
 大相撲九州場所を見るついでに太宰府にもお参りしたいと思い始めてから早数年が経過している。
 以下ネットの菅原道真公についての説明を添付します。

 菅原道真(すがわら の みちざね、承和12年6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日(903年3月26日))は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位太政大臣
忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇りつめた。しかし、左大臣藤原時平に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。