中国3ドキュメント(天安門・武漢封城日記・北京の春)

最近偶然に中国に関する3つのドキュメント番組(NHK)を見た。
最初のものは証言ドキュメントで天安門事件から30年

 もう忘れられた方も多いと思うが戦車の進行を妨げる若者の姿が映る象徴的なシーンが天安門事件であったと私の記憶には残っている。
 天安門事件とは、1989(平成元)年6月4日、首都・北京の天安門広場に集まった学生を中心に始まった民主化を求めるデモ隊に対して、中国人民解放軍が軍事力によって鎮圧させた事件である。
 その背景には元総書記胡耀邦と最高権力者鄧小平の権力争いさらには銷紫陽と学生等が民主化を求めた学生運動であった。

 鄧小平は学生のデモを動乱と言う言葉で新聞の見出しに掲げ一掃することに軍隊を使った。
 この事件で1万人以上の若者が亡くなったと伝えられ中国にとっては優秀な若者達の人材を一度に亡くしたことになる。
 1党独裁で中国を掌握しなければ統制の効かない大国中国のジレンマだと思える。
 天安門事件から30年間中国国民はこの傷を背負ったまま真相を知らされず時間が経過し人々は口を閉ざしている。
 もしこの時代にスマホなどの情報伝達器が存在したらどう形成が変わったであろうか?

 その次に武漢封城日記
   昨年12月の終わりに李医師がコロナを発見しそれを世の中に発表したが、世の中を騒がすとして警察に捕まり訓戒処分を受けた。その後4月2日の李医師は英雄として祭られている。
 この当時1月22日には当局は新型コロナウ・イルスは人にはうつさないと言い張っていたが1月23日にはこれを一転して人から人に感染することを発表した。
 この間の空白時間をアメリカが責めているのかも知れない。
 2月7日李医師はコロナに感染して亡くなった。
 李医師のブログには「健全な社会には言葉は一つではない」と残して死んでいった。
 武漢は1日で1万3千人の感染者を出した。
 1月23日武漢は完全に都市封鎖が行われしかも、公表されず夜中の0時からいきなり行われマンションの出入り口に門番が立つなどが行われた。
 これに対し若い女性がブログで国内に武漢で今何が起こっているのか日記で伝えた。
 同時に故事FMがラヂオ放送で当局の点検を掻い潜って放送を続けた。
 3月31日に封鎖が解除された。75日間の封鎖であった。
 この間のブログが武漢封城日記として香港にて出版された。
 
 日本の緊急事態宣言は随分生ぬるいが中国と日本は国内事情が全く異なる。
  しかも武漢で75日間の封鎖と日本の自粛要請の差がありながら1ヶ月間の自粛はコロナ征服にはほど遠いと思う。
 昨日総理から緊急事態期間延長宣言されて今日の国内はその話で持ちきりである。
 どちらのやり方が良いのか解らないが1日も早く収まってほしい。

 そして最後に北京の春である。
 4月30日に北京での移動規制解除後の北京を映していた。
 経済的にダメージを受けた経営者達が復旧にむけて動き出す姿を追っていく。
 日本も同じような道を通るのであろうが中国には政府の援助が見えない。
 国民はそれぞれ打ちひしがれても立ち向かって行く活力を持っているものであるがそれが長引くとどうなるのか解らない。
 広島が原爆を受け壊滅的な焦土となった街の中2日後には八百屋が臨時的な店を出しているのを米軍のビデオ記録で見たことがある。
 人間は強いものである。政治家は何も手伝えないのだからお金や法的な援助をやるべきである。私は年金生活者であるからこんなノンビリした事を言って申し訳ないが今回のコロナは大災害である。