100年前のスペイン風邪の教訓

 今朝、菜園を見るとオクラの苗が葉を切られて終わった。同じ場所を狙い撃ちした根切り虫のようで早速新しいのを買ってきた。
 ホームセンターに入る前にマスクを着用するのを忘れていて未着の人間は自分一人でまるで犯罪者のような肩身の狭い思いをした。
 昨日どの番組か知らないが「スペイン風邪の教訓」の教育番組を見た。

 20世紀最悪のパンデミックとされ世界で2000万~4500万人死亡し日本国内でも約45万人が亡くなった「スペイン風」。
 1918年~1920年新型ウイルスによるパンデミックが当時の世界人口の3割に当たる5億人が感染しその内の2000万~4500万人が死亡したのがスペイン風邪でウイルスはH1N1型と15年後に解った。
  当時世界第一次大戦真っただ中で、アメリカ・カンザス州にあるファンストン陸軍基地の兵営からだと言われている。アメリカ軍の欧州派遣によって世界中にウイルスはばらまかれた。日本では台湾に巡業中の大相撲の力士3人が肺炎で死亡した。
 日本の総人口5600万人のうち0.8%にあたる45万人が死亡した。このうち21歳~40歳の感染者が35%をしめ死者が40%弱と国民全体のほぼ4割の働き盛りの国民を失ったことになる。
 1919年1月内務省衛生局が一般向けに「流行性感冒心得」を出して一般民衆にスペイン風邪への対処を大々的に呼びかけている。
 スペイン風邪がウイルスであることさえ掴めなかった当時の人々の未知なる伝染病の対処法は驚くなかれ現代の対処と酷似している。
 人混みに出ない、マスクを着用する、うがいの励行、身体弱者はとりわけ注意することなど、さらに学校の休校や人ごみの禁忌など、これまた現在の状態と重複する部分が多い。そしてこれもまた現在と同じように、各地での集会、興行、力士の巡業、活劇などは続々中止か、または閉鎖されていった。
 このようにして、日本各地で猛威を振るったスペイン風邪は、1920年が過ぎると自然に鎮静化した。なぜか?それは内務省自治体の方針が有効だったから、というよりも、スペイン風邪を引き起こしたH1N1型ウイルスが、日本の隅々にまで拡大し、もはやそれ以上感染が拡大する限界を迎えたからだ。そしてスペイン風邪にかかり、生き残った人々が免疫抗体を獲得したからである と書かれている。
 1918年11月~1919年6月 前流行

 1919年12月~1920年6月 後流行

     感染者数   死者    死亡率
  第1回 2116万人  25万7千人  1.22%

  第2回 241万人   12万8千人  5.29%
  第3回 22万人    3600人   1.65%

  第1回の流行で感染せず免疫を獲得できなかった者が第2回で直撃を受け重傷化し死に至った。
  現在夏に新型コロナが一度おさまっても第2波を警戒する必要がある。
  パンデミックは1回押し寄せただけでは足らず第1回で感染しなかった者や感染者の薄い地域をねらい打ちするかの様に第2回以降が発生する可能性があることはスペイン風邪から学び取れる教訓である。
  その例を示すように韓国では160名を超す感染者がでたと今日の報道にある。 
 来年のオリンピック開催などと寝ぼけた事を言うより、今回の初動遅れを反省しPCR検査の充実や医療崩壊をしない体制を早期にしくべきであろう。
 注) 何故スペイン風邪と呼ばれたか?

   世界第1次大戦に参加しなかったスペインに名付けたと言われスペインはさぞ迷惑な話であろう。