今日の読売新聞の人生案内「家事の努力 理解しない夫」に思う

 50代の女性が読売新聞に投稿された本日の記事は「家事の努力を理解しない夫」とある。主人はおそらく50代半ばの中間管理職なのではないか?

 今だから言える家事についての一言。

仕事に集中して生活していた頃の自分には家事について考えたことはない。

世間でよく言われる言葉に「お前はだれのおかげで飯が食えているのか」

これに対し猛烈に反論する妻の心境は今なら理解できる。

 私は50頃会社を自己都合により退職をした。

そのころ妻は妻の実家のスーパーを手伝っていて子供達も家から離れ夫婦の二人住まいであった。

 1年後にひそかにスペイン渡航を考えていた自分は妻を助けるべき家事を手伝いではなく主に受け持った。炊事・洗濯・掃除と家事と名のつくものは何でも行った。

 時には料理も失敗することもあり、冬の寒い日に洗濯ものを干す作業も我慢強くこなした。その時妻はずっと外できながら家事をこなしてきたんだなと頭が下がる思いがした。

 それからスペインに単身で乗り込みやがて一人生活を始めた頃には家事について大して心配はなかった。ただ料理に使う食材が異なるのでとまどうことがあったが働きながら一人生活するのにたいした不自由は感じなかった。

 帰国後、脊柱管狭窄症で痛めた腰椎の手術を重ねた。

 医師からは次回に同じことを繰り返せば寝たきり老人になるとも言われゴミ出しや重いものを扱うことは全て妻の仕事になった。軽いものもである。

 私の友人の一人は「妻は毎日3食仕事をやってくれるので週2回の掃除は自分と」言う。

 今日の新聞の投稿に対して思う事は家事を知ることが一番大事であろう。

 妻が元気なら現状で良いかもしれないが、いずれは妻が寝込んだり先だったりすると家事をだれも手伝ってはくれない。お金が十分あればお手伝いさんでも雇えばよいが。

 今まだ元気なうちに家事を手伝い、家事を知れば妻に感謝の気持ちもわこうと思う。家事はそんなにつまらないものではない筈である。健康的で衛生的な生活を送るために必要最低限の仕事である。だから夫婦二人で分担して当然と思う。