二日前の夜NHK BS放送で「僕らはこうして医者になった」とドキュメント番組を見た。それは医学部にいかにして入るかではなく、卒業後に本当の医師になるために超えなくてはならぬステップのようなものであった。
3組の医師が紹介された。
一人は女医さんで最初は島嶼部の在宅医療が専門でここで患者や家族と向き合う医師の基礎を学んだらしい。それから都心に帰還しても在宅医療の仕事からは離れなかった。患者や家族の支えになろうと必死でもがく姿が放映されていた。ただやり方が少々異なり薬剤師や鍼灸医や関係ありそうな部門の人達をすべて一同に呼び会議形式で事に当たる。この種の在宅医療では死期に面した患者や家族とじかに対面して意見の交換をする。そうした経験の中で患者が最後を迎えるにあたり良き人生であったと思える時間を最後に過ごされるように努めることらしい。
治せなかった患者の通夜の姿を映していたが遺体の口にはタバコが加えられていて驚いた。患者自身が好きなことをさせてあげて最後を迎えさせてあげたい。
今から約50年前に父親が胃がんで亡くなった時のことを思い出した。
結構有名な個人医院であって入院後呼び出しを受けた。
医師のいうのにはもう治らない病なので当方から死人を出すことは病院の人気を落とすことになる。すぐ連れて帰ってほしいとのことであった。
しかたなく転院した。次の医院はもし自分の父親だとしたらどうするか?
当時丸山ワクチンが効果があるかもしれないと東京の大学病院への紹介状を書いてもらい数度通ったことがある。
医は仁術だというが2つの病院の患者や家族の接し方を経験した。
2人目は専門は異なるが国立ガンセンターに勤めを移しがん患者の治療にあたる。
家族は姪が一人いるがアメリカで生活しているため思うように入院治療ができない。
姪も長く日本に滞在は不可能であると難問に面していた結局医師が本件の中味まで入って対処するらしいと言うところでドキュメントは終わってしまった。
3人目は内科医で国内の研修を終えてハーバード大学で公衆衛生を学ぶため渡米した。
帰国後カメラに収まったのは広島カープの元投手池谷公二郎さんであった。
私自信池谷さんがコロナで苦しんでいることをツユ知らず彼は意識不明でエグモを装着して回復をまっていた。首からとふとモモの付け根から血液を循環して命を取り留めていた。このエグモから池谷氏が意識不明の2週間後にこの世に生還できたのはすべて医師のお陰だと思われる。
退院時に池谷氏はお礼を言うのにどなたに言えばよいのかと自問しておられた。