妻の料理

 隣の家は何を食べて生活しているのだろう。と不思議ななぞかけをしてみる。

 私は母親と妻の家庭料理しかしらない。

それが普通のことなのではあるがおよそ20年前にスペイン語学留学した時ホームステイして知らない女性の料理を半年間食して他人の食事を味わった。

 スペインの家庭料理で美味いとも美味くないとも味わえなかった。

 その当時妻とは結婚して20年余は経過していた。

 妻の準備する食事を美味くないと思わないのがごく普通のことだと思っていた。

準備して差し出された食事はありがたくいただくものとも長年信じていた。

結婚する前母親の食事で大きくなった自分は今でなら美味い料理とは言えなかったが素直に有難くいただいていた。

 母親は明治生まれで戦後の我が家の食事は恵まれていなかったように思える。社会一般皆同じような食生活であったろう。

 一番に食材の不足や今でいう贅沢な調味料などない時分の話で、その上大衆食堂も町の中ごく限られた数しかなく、庶民がそういうところに出入りして味を深めることもなかったろう。従って母親の料理下手は当然でどこの家庭も一緒のことであろう。

この当時麦を含めた米飯を食べていた。

 母親とは対照的な妻の生活。

 生まれながら食料品店の娘として成長し欲しい食材は何不自由することなく手に入った。言葉短く言えば昔の八百屋に毛が生えたようなものでそのごスーパーへと発展していく店であった。

ただし結婚する前の妻は料理が出来たかと思うとまるでダメであった。

結婚当初料理本をだして数時間待たされたこともあった。

 この当時、結婚前の娘さんたちは料理学校で学び嫁入り道具の一つとして身につけたのだろう。しかし妻には食べることが殊更好きで料理を学んだらしい。

 今では早く料理をしあげて食べさしてくれる。

 好きこそものの上手なれである。

考えてみれば普通家庭では妻が三度三度料理を作り家族に食べさすのが当たり前で料理が好きな妻をもらったことは偶然にしろ大当たりだと思う。

十人十色で料理の好きでないかたもいるだろう。

 現代ほど簡易食材は多種・多数世の中に氾濫していて食生活は平均化しているので隣の家で何を食べているのかといらぬ心配は無用であろう。

定年退職後、奥さんが毎日料理を作ってくれるのでその代わり洗濯・掃除は自分の担当であるという友人もいる。